コラム : 我が母校~三国丘高校 by 西村雅恵&梅田泰子

梅田皮膚科

西村雅恵 西村雅恵
大阪府立三国丘高校卒
大阪大学医学部卒
月水金の午前の診察担当
西村雅恵 梅田泰子
大阪府立三国丘高校卒
和歌山県立医科大学卒
梅田皮膚科副院長

制服姿で堺東

聞き手「高校時代の思い出を聞かせてください。」

雅恵「私の学年は12クラスだったけど、泰子先生のころは何クラスあった?」

泰子「私のころは16クラスでした。南海高野線の通学ラッシュがすごかったですね。かばんから手をはなしても落ちない状態。」

雅恵「私は泉北高速鉄道から南海でしたけど混んでましたね。今よりずっと混んでいたように思います。当時はまだ御堂筋線が中百舌鳥まで延びていなかったのも原因でしょうね。それと今は泉北ニュータウンに住んでいる年齢層が高くなってきて通勤しなくなってきたという事情もあるんじゃないでしょうか。」

聞き手「学校の最寄駅は堺東ですよね?」

泰子「はい。昼休みに昼食を学校前の三国屋で食べたり、堺東の駅前に食べに行ったりしている人もいましたね。制服姿でカラオケボックスに行って出てきたところをおまわりさんに見つかって注意を受けた友達がいました。君たち高校生やろ、こんな所で何してるの?って」

雅恵「それって補導って言うんじゃないですか?」

泰子「そうとも言いますね。」

聞き手「それはお友達の話ですよね?」

泰子「はい。お友達の話ですよ。」

花と蝶で打ち上げ

聞き手「学校行事で印象に残ったのは?」

泰子「秋の体育大会のあとにクラスで打ち上げがあるんですよね。」

雅恵「そうそう。花と蝶。」

泰子「ありましたね。はなちょう。」

聞き手「花と蝶って何ですか?」

雅恵「喫茶店の名前です。打ち上げの定番。」

泰子「お開きになって店を出ると前に先生方がズラッと並んで待ち構えていたりして。」

雅恵「私のころはそういうのはまだなかったですね。」

泰子「そういうことがあって私の学年では打ち上げは難波方面に流れる雰囲気になっていました。」

雅恵「マラソン大会が浜寺公園であったんですけど景色がよかったのが印象に残っています。」

泰子「私のときは長居競技場でした。すごくしんどかった思い出があります。でも今から思えば世界的 な大会が開催される陸上競技場のトラックで走れたことはいい思い出になりました。」

甲板組と船底組

聞き手「修学旅行はどちらに行かれたんですか?」

泰子「1年生のときに行き先を投票で決めるシステムでした。私は九州がよかったんですけど、多数派の泉北ニュータウンの人達が中学の修学旅行で九州に行ってたんで、行き先は東北になりました。楽しかったですよ。私服は宿舎内だけで認められるんですけど、みんな毎日変えたりして。」

雅恵「私のころは選択肢はなく九州でしたよ。サンフラワーの船旅が印象に残っています。カップルは甲板でデート。カップルじゃない人は船底で過ごすという図式でしたね。」

泰子「雅恵先生はどちらだったんですか?」

雅恵「船底組でした。」

聞き手「カップルはクラスに何組ぐらいいたんですか?」

雅恵「クラス内のカップルというのは少なくて別のクラスでというパターンが多かったですね。1クラスあたり4、5カップルはできてましたね。」

物理の試験で13点

聞き手「三国丘高校には長者番付というのがあったと聞いたのですが。」

泰子「ありましたね。定期テストの総合順位上位50番までと科目別順位がズラッと貼り出されるんです。私は科目別順位でチラッと登場するくらいでした。総合上位陣は固定メンバーでしたね。雅恵先生は上位固定メンバーだったんじゃぁないですか?」

雅恵「いえいえ、上がいっぱいいましたよ。印象に残っているのは物理の試験で13点だったことですね。」

聞き手「100点満点でですか?」

雅恵「100点満点で13点です。○が2個しかなかった。学年平均点も13点でした。でも学年トップの人は その試験で92点でした。点数まではっきり覚えています。」

自由な空気が満ち溢れていた

聞き手「ちょっと話は戻りますが、高校進学にあたって、三国丘高校以外の進路は考えられましたか?」

雅恵「公立志望でしたのでミクニ一本でした。」

泰子「大阪は公立志向が他県と比べると高いですよね。私は私立も併願しましたが第一志望は三国丘でした。入学してみて本当に居心地がよくて高校生活3年間を満喫できました。自由な空気が満ち溢れていたというか・・・」

聞き手「校訓は、自主自律・文武両道なんですね。」

雅恵「確かに居心地がよかったですね。子供達も将来は三国丘で高校生活を送ってほしいと思っています(雅恵医師は3児の母)。でも全教科の成績がよくないと厳しいみたい。」

泰子「ミクニの卒業生は私も含めて母校愛が強いという傾向があるように思います。」

雅恵「私が高1のとき野球部が甲子園に出場したら、寄付が集まってすぐにバックネットができました。卒業生の母校愛は確かに強いですよね。」

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