コラム : アトピー診療を続けていくということ

アレルギー疾患 皮膚科疾患 アトピー かゆみ

梅田二郎 私が2006年6月まで勤務しておりました大阪府立呼吸器・アレルギー医療センター皮膚科(現在の名称:大阪はびきの医療センター.以下“羽曳野”と略します.)は、アトピー性皮膚炎を中心とした皮膚アレルギー疾患の診療で有名であり、日本全国から患者さんが多数集まる「アトピー診療のメッカ」といえる病院です。食物アレルギーを合併し離乳食指導が必要な乳幼児から、長期にわたり難治性の成人型アトピー性皮膚炎の方まで、患者さん一人一人の年齢、生活環境、皮膚の症状、検査値に合わせたオーダーメイドのアトピー治療が経過を追って長期継続的に行われています。

“羽曳野”を来院される患者さんの6割以上がアトピー性皮膚炎という通常の皮膚科ではありえない比率で、皮膚科外来の前は夕方まで患者さんでいっぱいでした。私は月曜日の初診担当でしたが多いときは初診だけで20名以上、再診も合わせると100人を超えるアトピー性皮膚炎の患者さんが来られました。初めて“羽曳野”を訪れる患者さんが私の担当だけでも毎週20名ずつ増えていくわけですから、予約は随分先の方までうまってしまいます。そういう状況ですので患者さんからは「経過の途中で悪化したとき、予約がとれない、予約外だと待ち時間が長い、遠方で通院に時間がかかるということで大変困る」という声をよく耳にしました。その一方で「やはり“羽曳野”でないとだめです」というありがたい言葉を頂くこともありました。

そのような状況の中、2006年5月に大学医局からの推薦で思いがけず私の大阪労災病院への異動が決まりました。堺市は羽曳野市と隣接しており人口も83万人と多いため、“羽曳野”の患者さんの10%以上が堺市から来られていました。このことを冷静に分析してみますと、堺には有名な皮膚科が数多くありますがアトピー診療をメインに掲げている皮膚科が少ないためではという結論に至りました。

折りしも2006年4月、堺市に永住の思いを胸に転居してきた矢先の大阪労災病院への人事異動という私の個人的事情もあり、アトピー診療のメッカ“羽曳野”で身に付けた経験をもとに堺の患者さんのために力を尽くさせて頂こうという強い思いが湧き上がってきました。すなわち、経過の途中で悪化したときでも、予約がとりやすく、通院の便もよいという状態で、長期の継続治療が必要なアトピー性皮膚炎の患者さん一人一人にオーダーメイドの診療で取り組みたいという考えのもと着任早々に「大阪労災病院アトピー外来」を開設しました。

大阪労災病院に着任した2006年7月第一週から堺在住で“羽曳野”まで通っておられた患者さんが多数、明るい笑顔で来院くださり、私の方が元気づけられているほどでした。診察室に入る前から「うめだじろう」と大きな声で話している小学生の患者さんがおられ、診察室に入って来られると予想通り“はびきの”時代の患者さんでした。小児の患者さんには覚えやすい名前なのかフルネームで呼ばれることがしばしばです。

2007年8月、梅田皮膚科を開設するにあたり、勤務医時代から継続して通って頂いている患者さんに「もう転勤はないですよ」と言えることが私の喜びでもあります。アトピー外来を同じ場所で長期にわたり続けていくということは、医師になってすぐの頃からの私の理想でした。

慢性疾患では患者さんやその家族と担当医の信頼関係が何より重要であると痛感する毎日です。患者さんに長期にわたって治療を継続して頂き、アトピーの病状が少しずつでも改善の方向に向かうよう力を尽くしていきたいと思います。

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