コラム : 私にとっての特別な場所~三国丘高校 by 梅田泰子
梅田泰子
大阪府立三国丘高校卒
和歌山県立医科大学卒
梅田皮膚科副院長
考えてみると、地元の小中学校を卒業したものにとっては高校は初めて自分で選んで進んだ場所と言えよう。中学では頭髪検査、服装検査、持ち物検査と何かといえば貴重な個人の時間をとられるわけで、規則規則と追い立てられていた印象がある。さて、高校受験に合格し、晴れて三丘生(サンキューセイ:三国丘高校の生徒)となり、高校生活をスタートし、最初に感じた印象は、自由ということであった。まず、校則はあるにはあるが、中学でこちらが無駄だと思っていた前述の諸々の検査などは存在せず、すべてが生徒の自主性にゆだねられていたことである。それから、良い意味で他人に無関心である。皆独自の感性とペースで高校生活を送っていたようである。はたして三国丘にいじめ問題などあったのだろうか?他人にちょっかいをだすことに時間を使うより、せっかく与えられた自由を謳歌しているように見えた。三丘生の次の特徴として、時間の切り替えがうまいことである。体育祭や文化祭の準備は皆団結して楽しんだり、クラブ活動に精をだしたり、長期休暇にホームステイを経験したり、恋愛にうつつをぬかしたり・・・。しかし、いざ進路を決める頃には気持ちをスパッと切り替えて受験勉強に集中する。その切り替えたるや見事で、1年、2年は低空飛行の成績であったものも気がつけば、自分の希望する志望大学に合格しているという器用な人間が多かったように思う。
三国丘の教師はどうか?これは私個人の意見だがどちらかといえば、大学の講義のように、自分の専門の学問について滔々と論じているイメージである。三国丘の授業は、いかに点数をとるかというテクニックを教える予備校でのそれと異なり、大学受験のためのものという印象はなかった。例えば当時の三丘生の間で人気の授業と言えば世界史であった。世界史という学問が楽しいかどうかはさておき、その講義がユニークなものであり、受験に関係あるなしにかかわらず、授業を熱心に聴いている生徒が多かったように思う。私もその一人でいつか、世界中にある歴史遺産を訪問してみたいと思ったものである。
三国丘高校を卒業してはや10年以上が経過した。医師となった現在も勤める先々の病院で高校の先輩にお会いする事がある。同じ時期に在籍していなくとも、同じ学び舎に在籍していたということがこんなにも強いつながりを生むのかと実感し、心強く感じられるものである。
三国丘が卒業生にとって特別な場所であるとしたら、それは世間でイメージされる?であろう進学校とかそういった点ではなく、自主自立に基づいた自由な校風にあると思われる。是非自分の子供が生まれたら三国丘に入学させたいという意見が多いのもそのためではないだろうか。